「準備することのリスク・ベネフィット」を考えることは大切。でも…

もう一つ若いモンに告ぐ! 予習なんかするな!
http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/blog/massie/201301/528576.html

例えば、「脳梗塞の急患が来る」との連絡を受けて、脳梗塞の予習をしてしまったが最後、実際の患者が混濁した意識のまま、採血の妨げになるぐらい四肢を盛んに動かしていても、画像上の陳旧性小梗塞しか見えなくなる、なんてことは考えられないでしょうか。
後になって「血糖が400を超えている」との連絡を受けて、周囲の冷たい視線を浴びながら、高血糖に禁忌のグリセオールの瓶と生理食塩水の瓶を交換する羽目になってしまうというわけです。
(中略)
全国の有名ブランド研修病院を調べ上げ、自分にぴったり合った研修病院を決めるアルゴリズムも作成し、第4希望まで決定して初めて安心する。そして、そのような「周到な準備」をしていない人間に対して虚しい優越感を得る――。若い人たちに少なからず見受けられる姿ですが、そんな周到な準備が、一寸先が闇の世の中で何の役に立つのでしょうか。

急患の疾患についての「予習」をしてしまったために、他のことが見えなくなってしまう。
キャリアパスについても同様で、「予習」=「周到な準備」をすることによって、かえって準備の範囲外のことが起こった時に対応できなくなる、と言っているように読めます。

だけど、脳梗塞の予習が裏目に出得るのは、彼らが脳梗塞のみならず一通りの疾患についての知識を既に備えているからでしょう。
つまり、診療するための準備は既にある程度完了している状態です。
もしこれが研修医ではなく全くの医療の素人だったら(そんなことはありえないけれど)、他の症候を見落としてしまうリスクがあったとしても、予め脳梗塞の予習をしておいた方が良い対応ができるのは間違いないでしょう。

一寸先は闇ならば、どんなことが起こっても飄然としていられるような謙虚さが必要なのはその通りでしょう。
だからといって、「周到な準備」が不必要とか邪魔とかいうわけではないのではないでしょうか。
予習することのリスク・ベネフィットバランスを考えるべきという指摘は素晴らしいけれど、まさにバランスが大切なのであって、素人が出たとこ勝負で戦うのはちょっと怖いなあと思います。